権現仙人の由来と伝言

権現仙人の由来

 明治43年(1910年)3月18日、彼岸の入りの正午頃、長髪で眼光鋭く顔色逞しく、黒の法衣に脚絆(きゃはん)草履履き金剛杖に托鉢姿の 一人の僧が高橋家(屋号:芦谷=あしだん)の旧屋敷跡に現れているのを見たので、高橋家では昔から托鉢には白米一合を恵む習慣があるから白米一合を渡すと、 僧は祖父兼作(当時78歳)を見て、

『私は、明治維新の時に徳川幕府軍に属し、益田で薩長軍との戦いに敗れた。益田の谷上から乙子村に出て都茂街道を権現さんの籠立(かごたて)まで来たが、 疲労と空腹で倒れ昏睡していると一人の白髪老人が現れ、「私は権現さんの主であるが、この水を飲め」と申され、飲むと急に眠りが覚めて元気になった。続けて都茂街道を 権現神社 歩き、途中芦谷から波田村にでて匹見村を通り広島の寺町に逃げ隠れ、お寺で坊主になり、益田の戦いで戦死した人の霊を供養中に中国山脈の比婆山に立ち寄り、 石の上で三年余り座禅をし、仙人生活をした結果、霊感を授かり将来の事を予言出来るようになったので、乙子の権現さんの神様にお礼参りに行く途中である。』
と申された。

僧が
『私は今年米寿であり、お宅の老人も私と同じ年輩の様に見受けられるが、当時の益田の戦争の様子をご存じではありませんか?』と 尋ねられたので祖父は、良く知っている何処からかの伝えか?
『益田の万福寺に薪木を持参するようにとの事で乙子村の数人と共に万福寺に行った所、幕府軍の物見人が声高く「注進、注進。薩長軍は越峠峠(こいとうだお) を益田に向かい進軍中である」との事で怖くなり、逃げて染羽から手切坂(てぎれさか)を通り芦谷に帰った』と語る。続けて『それから何日か過ぎた頃、益田の正龍寺 に出頭するように呼び出しがあったので出頭したら、幕府軍に協力したとの理由で鞭打ちの罰を受けたが、その時にはまだ正龍寺の池の中に死体や、寺の境内には鎧・兜に 弓矢が沢山あった。また、西側の高い山の墓地の墓石が、益田川の淵に沢山投げ込まれていた。帰るときは染羽から手切坂を通ったが、途中手切坂の山の中に幕府軍の 千両箱や荷物が沢山あると聞いて、これを避けるようにして帰った。』との話から次から次にと話が弾み、三人で昼食を共にした。

 この時、僧は私(高橋芳太郎)に、この家は家相や地形をみて紀元前から続いている屋敷で、付近に沢山の先祖が葬られているから、 『お前は坊主になり、先祖の霊を法要背よ』と言われたが、私は頭が悪く長いお経は覚えられないから坊主にはなりませんよと答えたら、 『そうかそれならようが・・・。お前は人相から姓名判断からも悪いことばかり続くが、何事を行うにも真面目に行え。そうすれば、 いつかは神仏のご加護によりより運が必ず開けて、晩年になって幸福が来る。そうして死んだら、仏の元に行け。』と言われた。 私が、私の様な者では仏の元には行かれませんので、どうしたら仏の元に行かれますかと聞くと、僧は、 『それは、禅の道に入り精神統一の為に座禅をせよ。お経は読めなくて意味が解らなくともよい。』と申されたのである。

権現仙人の伝言

 僧は、『私の言うことを後の世に伝言することの出来る者はお前しかいないから、次の事をよく聞け』と申され、次の五ヶ条の伝言を授けられた。
(1)『文字の無い時代の事は信じられないと言う人がいるが、文字のない時代には伝人がいて、一度聞いた事は絶対忘れる事はなく、 次の世代に伝える人が次から次にと生まれて神秘的な記憶力の持ち主が沢山いる。文字が出来てもその人の考え方や立場から、 良きにつけ悪しきにつけ書き残して伝えられている。日本の神代の事も大和民族の事も根源があっての事であるから、 ただ神話として聞き捨ててはならない。』
(2)『お釈迦様やキリストは、日本に神や仏の道を布教の為に来日されている。キリストのお墓は青森県か岩手県に、 確かに実在している。又、お釈迦様のお母様は、神戸の摩耶山に祭られている』
(3)『死んだら必ず霊はあるものとして、生きている間に善を積んでおけ。そうすれば死んで仏の元に行けるが、 霊は無いものとして善を行わずして死んで霊があったときには地獄に行き、取り返しの付かない事になるから、 死んでも霊はあるものとして常に善を積むように心掛けておく事である。』
(4)『狐や狸は、昔は人間以上の知恵のあるものがいて人に災いをしたが、文明は狐や狸の最も怖い音や光を出すから、 知恵のあるものは生まれなくなっている。』
(5)『昼食時、茶の間の板戸に越中富山の薬売人が置いて行った日露戦争の画が張ってあるのを見て、 戦争は勝っても負けても損であるから良くないが、地球に人が住んでいる限り生きる為に国を盗ったり盗られたりするので、恐ろしい事である。』
(6)『それよりもっと恐ろしいのは、今から約100年後に天災と人災により地球上に大変動が発生し、約3年間にわたり地球が冷下、 大地震・大津波・大暴風雨等悪天候が続き、害虫類が多発し、人類が滅亡する時期が来る。
その時期に人類の滅亡を防ぐには唯ひとつ、そろは天の神仏に地球の安全を今日から祈願する事である。 その方法は全世界の人が人種・思想・宗教の別なく男も女も老いも若きも一致団結して地球の安全を祈願する事である。 又一方では、この地球の変動に打ち勝つ為に、強健なる体力と健全なる精神をもつ子孫を後世に残さなければならない。 これが為には、男は強い完全なる子種を女に授け、女は妊娠したら胎教、即ち子孫の中に子どもがいる間に神仏を信心し修養、 良き子を産み育て、子孫の繁栄を常に心掛けねばならない。
文明は世が進歩するが、一方では地球を破壊し人体を毒化しつつあるから、これに抵抗出来得るよう常に粗末な衣食住に慣れ、 強健な体力と健全なる精神力を養い置く事を忘れてはならない。 天災や人災で地球上に大変動が発生したら、都会の人は大半滅亡し、田舎の山間部の人は辛うじて生き残る事が出来るが、 食料に不足し飢餓死するからこれを防ぐ為には、今のうちから自然食の保存に留意しておかねばならない。 その自然食とは、実のなる桃・梨・柑橘類・くるみ・栗・柿・しい・ドングリ等、山菜類ではくず・わらび・ぜんまい・よもぎ・れんこん等、 薬草類ではせんぶり・はっか等、いずれも現在の無災害時から各家庭毎に植え付けておく事。 災害が来てからでは間に合わないから、又、悪天候と戦争は地球上に人類の生存する限り何時起こるか判らないから、 自然食は平素から確保しておく事を忘れてはならない。』
『自然食の体験の為三年余り比婆山に篭もり修行して結果、生き抜く事が出来るのを確かめたから之を信じ、 平素から少しでも実行して非常時に備えておく必要がある。
又、山篭もりする前に人間に最も近い猿の生活状況を研究し、猿は草木を食し繁生しているから、 仙人生活にいつでも生きて行くのに困る事はないと比婆の山猿を共に生活したが、何ひとつ困った事はなかった。
この仙人生活中、山の動物は生きる為に昼夜を問わず動き、残った食物は木の枝に、土の中に、色々と工夫して貯えている事を知り、 人も100年後の大危機に備えて粗食に慣れ、常に動き持久力をつけ、食物を貯える方法を研究し置かねば、 人類滅亡を防ぐ事が出来ない。』と諭された。
最後に僧は、『地球上の大変動のなきよう、又、仙人となり権現山で地球の安全を祈願する』と言われ、祖父に別れを告げて芦谷を出たのである。

  

権現仙人の伝言受者=高橋芳太郎氏

 私は子供心に笑って聞いていたが、権現山まで見送る気になり、本丸の籠立まで送って行ったが、その間僧は何も話さず、 籠立についてひと言、『この石の上で権現山の主より神の水を頂き生き返った。』と言い、大石の上に座禅して呪文「南無大権現」と唱え出したので、 私は怖くなり挨拶もせずに帰宅したが、その後その僧を誰も見た人がいないから、そこで昇天して遺体は権現山のどこかに埋もれていると思う。
  その翌年、小学校を卒業して家事・農業の手伝いをする一方、父の炭焼きの手伝いをしてその木炭を益田の町に背負って権現山、 旧都茂街道を一日に午前午後と二回ほど売りに行き、又、木炭の焼け具合の都合で権現山周辺で山泊まりしたり、夜中に通行した事もあったが、 不思議に山鳴りがしたり、火の玉が出たりする事が度々あった。加えて、暗い時に通行すると狐が後をついて来る事がよくあったが、 僧と別れた籠立に来ると不思議といなくなる。これは雪のある時に後になり先になりする狐の足跡がつくから良く判るので知る事が出来る。
 21歳で徴兵に合格、岡山の騎兵隊に入営の為、家を出た。34歳の時に休暇で生家に帰って、大阪に帰る時に父が権現山の籠立まで 送ってくれたが、それが最後の別れの地となっているので何時までも懐かしい。又、仙人の座禅した石も、今も完全でそのままある。
 権現山の籠立というのは、山の中腹にある。都茂街道上にあり、益田方面から坂を上がり詰めた所、 又、都茂方面から来るとこれから下り坂になる地点で海が見え、益田の町や高津の町、吉田平野を見下ろす大変景色の良いところで、 籠に乗った旅人がここで籠を立て休息するので籠立というのである。
かの僧に禅の道に入れと言われた事が成人になって思い出され、教えられた通りに実行してみたが、果たして反応は無かった。 ただ、大阪の住友電線製作所(株)の修養団に参加、奈良市のとある中学校の講堂の板の間で一日正座六時間宛一週間して帰る途中、 童子に帰った様な気持になった。それが暫く続き、その気持が常に忘れられず支那邇にいる時、南京大平橋のお寺のお坊さんに座禅の方法を 教えて貰い、又、揚子江の鎮江観呂寺の大僧の真筆布書を頂き、今も大切に保存している。
  そのお陰か不思議な事が常にあるので、いずれは座禅修業してみたいと思っている。不思議な事の例としては、 そんな馬鹿な事と思う人はそれでも良い。信用する、しないはその人の勝手である。ただ私は、あの僧の言われた事は良く当たっていると思っている。
例えば、明治天皇の崩御された年月や、皇太子(大正天皇)は短命で、その時代になると大騒動が起きる《米騒動、 関東大震災、第一次世界大戦があった》と予言された事等、全て当たっている。
地球安全祈願塔 地球の変動についても、神戸の六甲山も大昔は海底であった。これは山の土の中から石化した貝類が沢山出ている。 又、岐阜県の平野には地下2~3メートルに大昔の大木が石炭になりかけの半分、木材半分石炭過称亜鉛なるものが所々にあり、 大東亜戦争当時、これを掘り出し燃料にしたものである。
 人災についても、公害によりその害が身体に蓄積され、その内に身体が弱り抵抗が出来なくなり、悪い怪獣や鳥虫類の多発により、 人類が滅亡する事が無きにしも非ずである。

付記

地球安全祈願塔建設

 僧の伝言により全世界人が地球安全祈願をする塔を、僧が現れた島根県益田市北仙道乙子 芦屋家の前の台上に建設する。
  昭和48年3月18日 権現仙人の伝言についての記者
島根県美濃郡北仙道村乙子17番地 故高橋十作の二男 高橋芳太郎(明治32年6月27日生)
*地球安全祈願塔は現在、権現山(比礼振山)山頂に鎮座しております。